榎の大木の下に南会館集会所があり、お堂写真左側の弥陀堂、中央の赤い建物が十五番の大師堂札所。右奥の小さめ御堂が「ぽっくり榎大師」と並んでいます。
ぽっくりさんの御堂の真後ろ後方に四角い墓石が、小文間城主一色宮内政良の墓石と書かれた木柱とともに立っていました。現在は撤去されています。
相馬霊場大師堂は昭和55年に修復されており、その時の碑が残されています。
「ぽっくりさん」には近年まで病気持ちの老人を中心とした信仰が集まりました。
また、小文間地区の15番18番19番の札所は年頃の娘を連れた親や、受験や就職を控えた若者が訪れていました。
ぽっくりとは、そのついでに、自分の死に方を祈願したのでしょうか。
「ぽっくり榎大師」の「榎」について、(えのき、えんの木、縁結の木)が付くのは珍しい。
ぽっくり榎とは、おそらく脇の榎の大樹を目印に付加したものと思われますが、榎は昔から自宅の境界線の角地によく植えられた庭木だそうです。
相馬霊場巡りでも「ぽっくりさん」には人気が集まります「あの世へはポックリ行かせて」という願いからです。相馬霊場内には、野の井の第33番にも「ぽっくり観音」があります。
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