白山の金刀比羅神社、ご祭神は、大物主命
 創建、安永八年(1779) 観覚光音禅師
  光音堂は、長禅寺境内にもあります。
 「琴平神社」「金毘羅社」でも結構。先代の神官より





 

本社は光音堂手前の石段上に鎮座

 八十八ヶ所には含まれませんが相馬霊場を開いた観覚光音禅師を奉る光音堂です。
 金刀比羅神社は、四国の金比羅宮から光音禅師の移しによります、光音禅師は晩年ここで余生を過ごしたと言われています。
4月末に咲く、八重桜は光音堂とマッチして素敵な景観です。
 大鹿山長禅寺はここに創建されました、江戸時代に水戸街道が整備され、現在の取手駅前へ移りました。
 光音井戸の伝説は、当時この地(谷津)では、農耕用水が枯れるという、深刻な問題があり光音は原因を調べて「ここに井戸を掘れば難は救われる」と発せられ井戸を掘りました。
 以来、水に苦しむことは無くなったと言われ、境内の光音井戸は現在でも利用されています。(飲用禁止)
 石碑には「三神の威徳のます井なり 大師の利益くむぞ うれしき」と喜びの書が刻まれています。
 ここで言う三神とは、五穀守護の稚産霊神(わくむすひのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)の神をいいます。
  天明三年(1783)十二月十七日光音禅師は天命を全う、享年七十三でした。
 辞世の句、「日々に運び歩みの後消えて 行くとも知らずもとのすみかへ」


 【大鹿という地名】  大鹿という地名は、正確に立証する古文書などがある訳ではないのですが、大鹿山には多くの鹿が住んで居たのではないかと推測されます。
 大鹿城主の歴代も、野生の鹿を愛護していたと思われます。取手市新町5丁目に「鹿塚」と呼ばれる一画が残っていました、口伝なので確証とは言い難いので伝説としています。
 大鹿という地名は非常にめずらしく全国的に調べてもありません。が長野県伊那の「青花のケシ」は大鹿村でした。

「観覚光音禅師」







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