静岡県の富士吉田市にある「北口本宮富士浅間神社」に代表される、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭った火山鎮護の神が祭神です。富士吉田市は、富士山の登山口としても有名です。
観覚光音禅師は、ここで「天の声」を聞いたといいます。浅間山大噴火により、火山灰による川の増水などで農作物や疫病など悲惨な状況であった様子が伺えます。
「どうか、二度と災難が訪れ無きようこの地が栄えるよう霊場を示して」と観覚光音禅師は聞いたそうで光音は自ら「第89番」として番外を追加しました。
御詠歌には、桜井正男氏奉納で額が掛かっています。
新四国大師霊場は、本国四国の各霊場の御詠歌が移されており第89番は無いので、相馬大師霊場としては唯一のオリジナルのご詠歌になります。
言い伝えによると光音禅師が八十八ヶ所札所を全部造り終えて浅間神社の下を通りかかると「光音、光音」と呼ぶ声が聞こえるのだが、人の気配がないので、再び歩き始めると、
また「光音、光音」と呼ぶ声がします。光音禅師は これは弘法大師が此処に札所を造れと命じられたものと思い、89番を開基したと云われています。安永四年(1775) 笹山権現(※)を勧請、開基。
※ 予州笹山権現、愛姫県南部の篠山(ささやま): 愛媛県と高知県の県境に位置する標高1064.6mの篠山は、古くから山岳信仰の霊地として知られ、頂上には篠山神社が鎮座しています。
4月下旬から5月上旬にかけては、アケボノツツジやシャクナゲの花で山一面が埋め尽くされます。
篠山権現は用命天皇の勅願により開山しました。平城天皇の大同年間には弘法大師が来山し、天下泰平五穀成熟と祈願したという遺跡もあります。
往古は篠山三所大権現と称していましたが明治四年神社と改称しました。明治四年迄は四国88霊場の一宇でした。
御祭神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。
「天忍穂耳(あめのおしのほみみ)の子、番仁岐命(ほのににぎのみこと=ににぎ)は、高天原から日向に天下ったとき(天孫降臨)に笠沙の岬で美しい少女に出会います。
乙女に名を問い求婚するににぎに、女は「私からはお返事できません。父の大山津見(阿夫利神社の祭神で雨乞いの神)がお答えするでしょう」と言う。
早速、使者を送ると、大山津見はたいそう喜び、姉の磐長姫(いわながひめ)を添えて献上した。
ところがににぎは、姉のあまりの醜さに畏れをなして、妹だけを側に置き、姉の方は送り返してしまう。
それを恥じた大山津見は「もしも二人の娘と結婚していたら、あなたの命は石のような不動性と花のような繁栄を同時に手にすることができた。
しかし、ひとり咲耶姫だけを留めたので、天つ神の御子の寿命は花のように短くなるだろう」と言う。
それ以来、天皇の寿命は限りあるものになったのだ、と古事記は語っています。
長谷川角行 (かくぎょう)、天文10年1月15日(1541/02/10) ~正保三年六月三日(1646/07/15)は、江戸時代に富士講を結成した人びとが信仰上の開祖として崇拝した人物。
当初修験道の行者であった角行は、常陸国(一説には水戸藤柄町)での修行を終えて陸奥国達谷窟(悪路王伝説で著名)に至り、その岩窟で修行中に役行者よりお告げを受けて富士山麓の人穴(静岡県富士宮市)に辿り着く。
そして、この穴で4寸5分角の角材の上に爪立ちして一千日間の苦行を実践し、永禄3年(1560)「角行」という行名を与えられる。
その後、角行は富士登拝や水垢離を繰り返しつつ廻国し、修行成果をあげるたびに仙元大日神より、フセギ(病魔退散)や御身抜(おみぬき)という独特の呪符や曼荼羅を授かった。
なお、フセギは、特に病気平癒に効力を発揮する呪符であったらしく、江戸で疫病が万延した際にはこれを数万の人びとに配して救済したという。此処の浅間は富士講寄りといえる
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