玉桜山長福寺 (廃寺)
御本尊、千手観世音菩薩
移し寺、香川県綾松山(りょうしょうざん)白峰寺
ご詠歌、霜寒く露しろたえの寺の内 みなを唱うるのりのこうごえ








沿
 

 永禄元年(1558)湖北の龍泉寺の永楽法印がここに隠棲したのに始まります。
 ただし当所発見の板碑には長享二年(1488)権律師(ごんのりっし、僧官の地位)副住職覚永とあり、古くから堂があったと考えられています。
 当時は沖田弁財天の別当寺で明和元年(1763)弁天堂建立の勧進を行っていました。
 安永四年(1775)に千手観音をご本尊として相馬霊場開設、文化四年大師堂造立、
 その後も三十三観音の寄進が行われましたが幕末に到って無住となり、昭和63年に下新木青年館が建設され、仏像、什器は一堂に収納されましたが、同時に旧薬師堂が改築されて観音堂となりました。
 堂内には、不動明王坐像、釈迦如来像、薬師如来像があります。
 大師堂は明治32年の再建、壁面には彫刻師二代目後藤藤太郎作(東部後藤本流の常州派で佐藤一重ともいう、北相馬郡北方村居住、布佐の延命寺虚空蔵堂も同人作)といわれる十六羅漢の彫刻があります。
 境内には他に堂として稲荷神社、天神宮、入り口左の榊(さかき)八幡神社があり「奇客人神霊」の石祠が納めてあります。「奇客人」は人物を特定出来ない。
 「榊」の語源は、神と人との境であることから、境木(さかいき)境界のしるしとする立木とされる。
 下総三十三観音霊場第廿二番、この霊場は、船橋の夏見山長福寺を第一番として市川、松戸、流山、佐倉に点在しています。
 住職は明治以後は住んでおらず、荒れ寺となってしまい傷みがひどくなり、昭和四十年頃に本堂をこわしたと土地の古老が語つてくれました。
 大師堂の三方壁面には竜ヶ崎市北方の後藤藤太郎作の十六羅漢の透かし彫りが描かれています。








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