光音禅師手植えの榧(マガヤ)が本堂前庭にある、樹令二百余年昭和十年に県の天然記念物に指定された名樹で枝をひろげ今も沢山の実をつける。
その実から虫くだしの好薬が作られたとか。
光音禅師は、東源寺の風光は弘法大師生誕の地、善通寺に似ていることからここに第七十五番を移されました。
禅師が取手金刀比羅の草庵に往生の時はわざわざ金剛杖を贈越されて大師堂には光音禅師の位牌と共に安置されました。
尚、75番を基点に相馬霊場を左右どちらからでも巡りますと取手の一番迄の距離が等しく、東源寺75番は中間の札所であるところから「中回向所(なかえこうどころ)」と定められました。
柴崎は、水戸街道と船取道(県道、船橋取手線)の分岐するところですが、かつて新木城を築いた「新木の蔵人」は柴崎に柴崎城を築き移住しました。
相馬霊場で見掛ける「光音講」は、禅師の死後に光音である井出一族が中心となり、信濃国佐久郡海尻で組織されました。
数年毎に相馬霊場に訪れ、長禅寺下の伊勢屋に宿泊して巡拝結願(けちがん)後は、成田不動から船橋経由で江戸に立ち寄り南牧村の海尻へ戻ったそうです。
平成元年完成の今の大師堂は大きく天井には杉の根が使われており「ボケ封じ」の御利益があると言います。
境内には慈母観音像や、多数の石仏石碑六地蔵がある。
水戸街道を上ると「電力研究所」があります、この地は我孫子城址と云われています、桜の開花の時のみ一般の出入りが出来る研究所内の桜老木は一斉に開花して見事であり、隠された花見所になっています。
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