真言宗永光山西音寺(空寺)
御本尊、薬師如来
移し寺、香川県医王山甲山寺(こうやまじ)
ご詠歌、十二神味方にもてる戦には 己と心かぶと山かな



西


 

 寛永十二年(1635)の碑があり碑文には、江戸初期に修行僧が堂庵を営む、とあります。
 NEC日本電気の角地にある池との関係です、利根川の氾濫で鍛冶池(かじいけ)は、県の払下げ池であったので日本電気(NEC)に譲渡し、一部を本堂再建に充当したといいます。
 鍛冶池は現在、夏には色とりどりの睡蓮が咲き誇り、レストラン「かじ池亭」が管理しております。かじ池亭は、国道6号沿いにあった「レストランかあちゃん」でした。
 右手奥に八幡神社があります、明和6年(1769)の創建。昔は取手大鹿城址を対岸に望む位置に建立されていました。
 明治政府の強引な神社整理策(七万社を廃棄)は明治39年(1906)の神社合祀令によって現在の天神社境内に移されました。祭神は誉田別命。
 「 下戸村(げこむら)や しんかんとして 梅の花  (しんかん=ひっそりと静かな様子)  一茶 」
 俳人小林一茶は文化11年11月26日に西音寺を訪れている、七番日記より。
 


 【地名】下ヶ戸については明確な説がありません。一茶の句にある「下戸村」であれば次の通りです。  「下戸(げこ)」とは、酒が飲めない人、「下戸」の語源の由来で、律令制では資産や家族の人数で「大戸、上戸、中戸、下戸」の四つの課税単位が決められ、また婚礼時の酒の量が上戸は八瓶、下戸は二瓶とされていたことから、酒を飲めない人を「下戸」と呼び多く飲む人を「上戸(じょうご)」又は蟒蛇(うわばみ)と呼ぶのは皆さまもご存知のとおりです。
 下戸は四等戸の最下級で正丁(税を負担する22才から59才の公民男子)が2人か3人の家で、「下戸村」はこのような家の集まる集落であったようです。この部落毎の人口上下差によって納税額に差をつけたのでした。








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