開山開基は不詳ですが北小金の本土寺過去帳に「延寿二年(1490)」の記録が有り、創建は室町時代だったようです。
我孫子宿の中心にあったため宿場の発展と共に栄えました、しかし文化二年(1805)と文政三年(1820)の両大火で罹災し建造物の古文書をすべて焼失してしまいました。
本堂は仮堂のままでしたが、聖天堂は文化七年(1810)に再建され、その後、嘉永四年(1851)に高野山から夢告大師像を迎え、安政三年(1856)には「御衣、御袈裟、御念珠の三品」が授与され厄除け大師としての信仰参詣が広まりました。
須弥檀中央の夢告大師像の両脇には此岸(現世)で極楽往生を説く釈迦と観音、彼岸(来世)で往生した者を迎える阿弥陀と勢至が向き合う遣迎二尊像として珍しい配置で祀られていました。現在は通常の配列です。
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