新四国相馬霊場第38番第43番






  子の神大黒天
御本尊、子の神(ねのかみ)大将軍
移し寺、高知県蹉蛇山金剛福寺
ご詠歌、ふだらくやここは岬の船のさお とるも捨つるも法のさだ山







 

 縁起では子之神将は、行基菩薩が諸国巡錫の折りに下総国分寺(市川市)で薬師如来と十二神将および大黒天を刻んで安置したが、国分寺がたびたび火災の災厄に逢うので、尊像を背負って諸国を遊歴した宥啓阿闍梨により、康保元年(964)此の地に一宇を造り安置されたと言います。

 子の神大黒天は、腰下の疾患に霊験があるといわれています。子の神は山の神と同じく山頂にあることが多い、この信仰は山の尾根を歩いて行かねばならず、足腰が強くないとならず里に戻った時には「わらじ」を奉納した。今はブリキのワラジが奉納されています。秋の10月第4日曜日午後2時に「火渡りの行」が行われます。
 【子の神】
 薬師如来とその信者の警護をする十二人の大将を十二神将といいます、子の神は毘羯羅大将(ひがらだいしょう)、十二支の子を指します。
 【大黒天】
 魔訶伽羅天(まかからてん)はインドでは強暴な戦闘神でしたが、(三面六肘(又は八肘)で鎧を付け武器を持つ仁王のような姿)中国に伝わると、厨房(台所)が潤うことで財を益す繁盛神となり、日本では福袋や打出の小槌を持ち米俵を台座にした、ふくよかな神に変身しました。神仏一体の寺社で、大国主と大黒は習合し更に子の神も習合し鼠をその使いとして現在に及んでいます。
 【逸話】
 源頼朝が旗揚げ目指し関東諸国を歩いていた折、我孫子の里で重い脚の病にかかり歩行困難となった為、沼近くの農家に身を寄せ数日過ごしたある夜、夢枕に大きな白ネズミに乗った白髪の老人が柊(ヒイラギ)の葉を持って現れました。そして、この地の鎮守子の神権現の化身であることを告げ、老人は柊の葉で頼朝の足を示し祓(はらう)ったという。後日、頼朝は将軍となり社殿を造営しました。
 


 志賀直哉の書斎が残る志賀直哉邸と白樺派記念館が近くにあります。

 門前左側に、村川別荘があります(無料)。東京帝国大学で西洋古代史の教鞭をとった村川堅固と、その子息堅太郎の別荘。我孫子宿本陣にあった離れを大正10年(1921)に移築した母屋と、昭和2年(1927)から翌年にかけて建築した独特のデザインの新館があります。昭和初期の別荘地の雰囲気を今に残しています。 平成19年市指定。
【昭和初期に手賀沼吟行が行われた地】
 高浜虚子の俳句結社「ホトトギス四S」阿波野青畝(あわのせいほ)と水原秋桜子(しゅうおうし)、取手市山王出身の高野素十(すじゅう)、山口誓子(せいし)等は、此の地で吟行を開いたそうです。
【逸話】
 源頼朝が旗揚げ目指し関東諸国を歩いていた折、我孫子の里で重い脚の病にかかり歩行困難となった為、沼近くの農家に身を寄せ数日過ごしたある夜、夢枕に大きな白ネズミに乗った白髪の老人が柊(ヒイラギ)の葉を持って現れました。
 そして、この地の鎮守子の神権現の化身であることを告げ、老人は柊の葉で頼朝の足を示し祓(はら)ったといいます。
  後日、頼朝は将軍となり社殿を造営しました。








 新四国相馬霊場第38番第43番







  白花山延寿院、大正七年ここへ移転した。
御本尊、不動明王
移し寺、愛媛県源光山明石寺
ご詠歌、聞くならく千手ふしぎのちからには 大ばんじやくもかろくあげ石







 


 延寿院は古くから子の神大将の別当寺であったといわれてきました。延寿院は、JR我孫子駅の北側にあり大師道があった頃は、久寺家の宝蔵寺から相馬霊場の南端に位置する興陽寺の途中に位置していました。
 現在のヨーカ堂我孫子南口店の南出入り口向い側辺りです。明治29年、常磐線の開通時に大師道は線路によって分断され、大正七年(1918)には、駅舎の手賀沼側が栄えたことにより、宿坊として子の神に移ったといわれております。
【柴燈護摩火渡りの祭事「火行」】、
 毎年10月の第4日曜日を定例開催日としています。
 火渡りを体験する場合は、当日延壽院受付で「体験札」又は「護摩木」五百円を購入して下さい。
 柴燈護摩火渡り荒行は、古くから修験道(山伏)に伝わる秘法で行者は各家各位の祈願を祈念した護摩札を奉持して火の中に入り「不動の三昧(さんまい、精神集中が深まりきった状態)」に住しつつ信心各位の願いを祈ります。  当山におきましても江戸時代より続く伝統的な行事です。
 「火生三味」とは不動明王が護摩の火の中に住するという意味で、「火渡り」とは、柴燈大護摩供を厳修した後、その護摩のおき火(炭火)を整備して、その上を歩いて渡るということです。
 この護摩の火(不動明王の智慧の火)で、我々のけがれ、心の迷いや煩悩を焼き清めて、ご加護をいただくものです。
 柴燈大護摩供大祭りを厳修致しまして、皆様の願いを御祈祷致します。火行主催者より
 不動明王、梵名「アチャラ(動かない)ナータ(守護者)」を意味し、「揺るぎなき守護者」の意味であり、空海、弘法大師が唐より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれたと言われます。
 不動の尊名は、八世紀前半の菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経(ふくうけんさくしんべん・しんごんきょう、不空羂索観音の所依とする経典)」に不動使者(大日如来の使者)として現れるのが最初です。
  なお、不空羂索観音は奈良東大寺の法華堂(三月堂)に祀られる壮大な観音像で、東大寺境内では最も古い堂とともに有名です。








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