岡発戸の白泉寺(空寺)
御本尊、釈迦如来
移し寺、徳島県白水山平等寺
ご詠歌、平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる






 

 創立は慶長15年(1610)、開山は竹厳宗嫩(ちくげんそうどん)、隣接している岡発戸八幡神社の別当寺でした。現在、白泉寺は昭和初年より無住となり空寺で正泉寺住職が兼務しています。
 境内には待道(まちどう)大権現社があり、玉垣に安永四年(1775)の刻銘がありますが開基詳細は不明です。
 白泉寺はこの地方の中心として既婚女性の安産と子供の無病息災を祈る「待道講」の普及に尽力した寺でした。待道講は、柏市逆井や宿連寺、花野井、松戸と広まり「マツドッ講」と呼ばれた女人講でした。
 都部の正泉寺の「女人成仏血盆経」とともに、布教は行われておらず、講も現存しません。
 冬のある日、出産近い妊婦は参道で出稼ぎしている夫の帰郷を待つ約束をしました。しかし、夫は手賀沼淵へ向かい妊婦の妻を探します。
 来ない夫を待つ妻は産気付き道端にムシロを敷き赤子を生んで亡くなってしまいました。待つ道=待道の口伝です。
 白泉寺は、昭和30年に建物を改修し岡発戸公民館を設置して、その一間を仏間として阿弥陀如来像、十一面観音像、薬師如来像を納めていました。
 大師堂には石造大師像二体と大正13年奉納の像高23cmの瓦造観覚光音禅師像があります。意志強固な風貌で大きな福耳を持つと伝えられた光音禅師の姿を偲ぶ事が出来ます。
 八幡神社の祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。正徳四年(1714)の創立と伝えられています。
 神像は高村光雲に師事した大谷善兵衛昭和13年の作で、先の三神は夫々八幡大神、八坂大神、春日大神の主神であり合祀されたものと思われます。
 白泉寺脇の坂を北へ向って下りて行く途中に、今でも清水が湧き出ている井戸があります、鎌倉道に登場する、将門の井戸を含む湖北の七つ井戸の一つです。
  湖北の七つ井戸  井戸の水は村人の生活飲料水として、また農業用水として使われ、正月元旦には神様の水として神棚に供えられました。
 岡発戸では、この八幡井戸の他もう一つ井戸がありますが、それ以外に井戸は掘ってはいけないと言われて来たため、長い間水汲みや水運びに子供や女達が難渋したそうです。 我孫子郷土史湖北会、我孫子市教育委員会。
 八幡の井戸は「中相馬七ケ村(湖北)の七つ井戸」の一つです、大日井戸と呼ばれていました。
 七つ井戸はこの他に、下新木葺不合神社の「弁天の井戸」、上新木の「香取の井戸」、日秀の「将門の井戸」、中峠の「桜井戸」、湖北台八幡神社南の「元日(がんち)の井戸」、湖北台東小学校の「井戸坂の井戸」が鎌倉道沿いに点在していました。
 「元日の井戸」と「井戸坂の井戸」は道路下に失せましたが、八幡の井戸は、ポンプ小屋が造られ利用されています。
 


 【地名】都部「いちぶ」、「都」=「一」、「みやこ」は以下の様な意味を含んでいるために女性名に使われます。
 人びとの集まる大きな町。国の中心ときめた大きな町。 みやこをきめて国の中心の町とする。
 また、多くのものを一つにあつめて統率する。すべて、みんなという意をあらわす言葉。








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