我孫子市久寺家真言宗豊山派明王山宝蔵寺
御本尊、延命地蔵菩薩
移し寺、香川県南面山屋島寺
ご詠歌、あずさ弓屋島の寺にもうでつつ
    いのりをかけて勇むもののふ









 

 観覚光音禅師は、久寺家(くじけ)の丘は香川県の屋島に似ていると言われ、八十四番を写したそうです、今ものどかな田園風景が広がっています。 宝蔵寺寺伝によると、宝蔵寺は元和三年(1617)の創建であり、元は地蔵堂でした。


相馬霊場唯一、大師堂手前の寵堂(こもりどう)

 【地名、久寺家】
 宝蔵寺は久寺家城跡の様で我孫子城主の安孫子左衛門但馬守の支城と明確ではないのですが云わっています。
 久寺家とは、平将門の家臣久寺儀元なるもの流浪し来り、民業を起したるに起因す。(富勢村誌)。
更に詳しくは、平将門の家臣の久寺豊後守大炊左馬之助は、現在の新取手東端に位置する大山の城主でした。
 将門の愛妾桔梗御前の住む朝日御殿の向い側になる処です。
 久寺豊後守には弟の丹後守がいました。二人は将門の死を知ると大山城を捨てざる得なくなり逃亡を余儀無く、兄は久寺家へ弟は柴崎に農民となって逃れました。
 豊後守は此の大地に居を構え帰農し田地を開いたのでしょう、久寺家という地名は久寺豊後守の名が基になりました。
 宝蔵寺は久寺豊後守の浄財を得て伽藍を造ったとあり、縁が深かったのでしょう。宝蔵寺書院庫裏再建落慶供養願文より
 
 帰農した兄弟のうち、兄の子孫は大炊(おおい)氏を名乗り、住居の乾(北西)の地に鷲神社(おおとり神社と呼ぶところが多いが、ここは「わし神社」と呼ばれている)を祀って村社としている。
 近年、鷲神社は新たに改築されているが、隣接する箱根マラソンで有名な中央学院大の鎮守になっている。大炊氏は代々名主を勤めて今日に至っています。
 弟の丹後は柴崎村に住み、大井氏を名乗って柴崎東源寺門前に居住し今日に至っている。
 我孫子市柴崎の大井家には、將門に関する天慶(てんぎょう)三年(940)の位牌と遺物頸天神(くびてんじん)があると伝わる。
 「頸(くび)」は喉(のど)に当たる、頸という漢字は、鶏の長い首を連想しがちだが、この字には「陰根」じみた根の深い淫靡な伝説を通して、現代でも通じる人生の陰陽の繰り返しを意味しているという。
 新取手の大山城跡地居住の主は「風と雲と虹と」のNHKの当時の取材話をしてくれました、大山にも將門井戸があり今でも門松は飾らないとか鯉のぼりは立てないとかの風習が残っていたが、現在ではこの様な情景はほとんど見られなくなりました。








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