高龍山福寿院大聖寺(廃寺)
麻疹不動として名高い不動堂でした
御本尊、不動明王座像(像高3m)
移し寺、愛媛県近身山延命寺
ご詠歌、くもりなき鏡の縁とながむれぱ 残さず影を写すものかな







 

 小文間西方の大聖寺は、寛永七年(1630)尊栄の開祖です。真言宗智山派の祈願寺です、取手では智山派は珍しかった。
 お寺は地元の中村一族によって建立されたもので、本堂は昔建てられていたが取り壊され今は空き地となっています。
 

 もとは旧水戸街道沿いの不動橋近くの田圃の中にありましたが、寛永七年に岡堰が出来て水路を通した時に低地となった為この地に移転しました。
 ご本尊の不動明王は慈覚大師の作と言われ、像高一丈3m、眼光は爛爛としております。  不動明王は、僧尊栄に中村一族が協力して作らせたものです、この不動明王の頭部の中には、一刀三礼で精魂込めて創られた不動明王像が納まっているそうです、 また、腹部からは密文が見つかっており「これを不動明王の誓約速やかにして、その利益余尊に超え一切の魔軍を焼き尽くして、麻疹の難を除く」とあります。
 はしかの病は難病であった時代には、麻疹不動として近隣からの参拝者で多いに賑わったそうで遠く土浦や下館、佐倉や江戸からも参拝に来られたそうです。  「堂内風通と掃除をしていた老婦人」より聞取り。


 境内には色々の石塔があります、その中に蚕影山(こかげさん)神社と蚕霊供養塔が建ち、一回りおおきな中村熊次郎寿蔵翁碑が並んび、小文間は養蚕が盛んであったことが伝わります。
 蠶影(蚕影)山神社は筑波山北条神郡にある大社で絹の神の常陸国三大発祥地(日立、神栖)とか。成務天皇が134年農蚕奨励で国造りを行った所だそうです。
 詳しくは「蚕影山神社」をご覧ください。 

 中村熊次郎翁は、明治35年夏、不動尊の腹中から秘文を発見しました、堂前の石碑の秘文には、
「寛永七年、法印権大僧都 尊栄という高徳僧が天下安泰と国土豊饒(ほうじょう=五穀豊穣)の聖で全国行脚の途、相模、上州、秩父に不動明王を祀った、寛永七年九月八日 府川正学坊祐一之 筆」と記されています。
 翁は、養蚕の研究開発と製糸工業に没頭し、小文間の産業発展に寄与します。 製糸工業は農家から直買する仲買を排除するために、製糸工場を持ち販売迄担っていた様です。
 絹は後のナイロンに置き換わり生産は壊滅状態となりましたが、絹糸の人気は再浮上しています。養蚕が復活するといいのですが。








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