【注】移し寺は妙照寺と号していましたが、現在は井戸寺になっています。これは寺名より御詠歌の中で歌われている「井戸の水」の知名度が占めたため、井戸寺と紹介されていました。
妙照寺の御本尊は薬師如来で聖徳太子の御作で、更に開基されました。七薬師の御霊佛があります。
【薬師ヶ丘薬師堂縁起】
入口に西方公民館、中央に大きい竹薮と墓に囲まれた薬師堂があり、大師堂は参道より明星院側にあります。
墓地は中村家一族と井上家一族のもので、中村家の81歳の長老、熊次郎が国より払下げを受けて作ったとの記述が門柱に残っています。
中村熊次郎
戸田井の排水機場にある「相馬郡治水碑」によれば旧相馬領内にある井野、小文間、六郷、相馬、高須の集落は低湿地で大雨の時は大湖の如くになるので、折角耕作した米もほとんど実らなくなってしまいました。
このため農民は居場所を変え、職を変えたりしていたといわれていました。
篤志家の中村熊次郎等は70人余りの同志を得て、耕地組合を作り資金を投じて、明治43年排水機を設置し、長年の水害を克服したといわれています。
子息の中村金左衛門は取手市初代市長を勤め、この近在で製糸工場を経営していました。
このほか熊次郎は私財で築堤など様々の事業をやっており、土地を提供した小文間小学校脇には顕彰碑があります。
雨乞い獅子の伝承があり、獅子舞はこの地区の長男だけが代々伝承し、雨が降らぬこと無し、と言われましたが、大正初期に出稼ぎに出るようになり途絶えてしまいました。
獅子頭は関東でも珍しい「龍頭」で「雨龍」(うりゅう、大局将棋の駒とは別、水の精霊に連なる龍の末裔で雨滴を降らせたり、雷雲を湧きあげる能力をそなえる幻獣)と呼ばれていました、現在明星院に木彫りの獅子頭の一部が残っています。
ある日、岡堰が干ばつで水が不足しました、岡村の農民は小文間の村民に雨乞いを頼みました、小文間の村人が3日間祈祷して通い、雨乞いを演じている間に降雨になり、安堵したとか・・。
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