昭和の白山商店街
徳川家代々のご朱印寺、関東三弘経寺(水海道、結城)の一宇です。 開山は浄土宗を中興した第七祖聖冏(しょうげい)の弟子良肇(りょうじょう)が応永21年(1414)、水海道飯沼弘経寺の分(わけじ)として、当初人家(ひとけ)もない山中に草庵を設けたのが始まりと云います。
大鹿城主であった大鹿太郎左衛門は、小文間の一色宮内に襲撃された時、弘経寺の娘であった奥方を当寺に逃がしたと云います。大鹿山長禅寺と大鹿山弘経寺の二大古刹が取手を支えて来たのでしょう。
天正19年(1591)徳川家康が、孫娘千姫に会いに訪れた際取手に立寄り接待の住職の宣誉上人が有徳(徳行の優れた事や人)な僧であったために、三十石の御朱印地を授かり堂宇の拡大が行われたといいます。
また、取手弘経寺の歴代住職で照誉了学(しょうよりょうがく)天文18年(1549)~寛永11年(1634)上人は、徳川家菩提寺の芝増上寺の住職に上任されています。
水海道飯沼の寿亀山天寿院弘経寺では、徳川家の天樹院こと千姫の頭髪が発見残された廟所があり、水海道では桜開花の頃には千姫祭りが行われています。
地名の白山とは、白山商店街の一画に白山大権現が祀られていました、金刀比羅神社と共に参拝が多く白山通りは賑わい白山、白山前と言われるようになったのですが白山大権現は、当寺の境内に移されました。
山門の右側にブロックで囲まれた中に祀られています。なお、白山神社のご祭神は、素盞鳴命、天正18年(1591)創建、詳細は不明です。
下総4弘経寺の紹介。
水海道飯沼弘経寺
結城と取手と関宿の弘経寺
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