昔は花蔵院と言われ井野の普門院が在寺した所と言われ、本多作左衛門重次の居があったそうです、 享禄二年(1529)~文禄五年(1596) 一筆啓上 火の用心 お仙(嫡男、仙千代君)泣かすな 馬肥やせ、という短文の書簡文で有名です。 重次は、家康にとっては非常に重要な家臣の一人でしたが。平和な時代になった晩年は、家康にとって頑固で厄介者であった重次を下総の田舎に追いやったのでしょう。 作左衛門は毎夜の様に酒宴をもうけて騒いだそうで地元民にはあまり評判がよろしくなかったそうです・・・。 鬼作左とも言われ、お墓は、常磐線を越えた桜ヶ丘にあります、甲冑などの遺品は、井野団地の本願寺に祀られています。 青柳本願寺は旦那寺でもありますが、永い間本多家とは絶縁状態でした。重次の墓がなぜ本願寺ではなく御墓山なのか?…」
「久寺家の本願寺山」配布資料
参加者配布資料
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