後の大鹿城主綾部時平は文暦(1235)年代に、此処に花輪城の館を建てました。綾部と稲の山崎は戦友で共に取手の郷士となります。 晩年、息子の平内左衛門に花輪城を譲り、大鹿に砦を造り大鹿城に居城しました。しかし、永禄四年(1561)小文間城主の一色宮内の不意打ち(雁金山の合戦)を受け落城してしまいます。 取手の名の起源となっています。「取手」は「砦」が発祥名です「とって」ではありません。 隣接するサクラ公園は広大な桜の花園で景勝地でした。お堂のすぐ下を常磐線が走っています。
参加者配布資料
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