災難除け、風邪除けと二種類のお札がありました。風邪の神の木造像が祀られた小堂が並んでいます。
御詠歌も掲げられています「このかどを除けてとうれよ風邪の神 大師すがたのあらん限りは」とあります。
天満宮の祭神は菅原道眞公で、室町末期の天正元年(1573)二月二十五日、道眞公が昇殿された日に京都北野天満宮より分霊してお祠したとあります。
庭の梅が咲頃、井野を見渡す景色がよい。弁財天、稲荷大明神、石尊大権現、八幡宮等の石碑が集め置かれています。桜の大樹があり花見に訪れる人も多い。
昭和50年代後半の聞込み話(取手市史民俗編Ⅱより抜粋)。
「天神様の所にある31番は家の所にもあったんだよ。イトーヨーカ堂入口前に二間四方の阿弥陀堂があって、そこに31番があったんだな。
だけど年寄らが片しちゃったんだよ。家の方が本山だったんだよ。天神様の方は欠け所だったっていうんだよね。だけど、境内がいいでしょ、本山にみえるよね。」
イトーヨーカ堂は「片倉ショッビングプラザ」ビル内にありました、取手駅から台宿坂上り口手前左側でした。
「片倉」とは「片倉紡績取手工場」で製糸工場でした。
< 移し寺のご案内、四国の第31番高知市蓬莱山竹林寺 >
昭和の歌手ペギー葉山さんのヒット曲「南国土佐をあとにして」の背景となった土佐の古刹です。
本堂裏の蓬莱山庭園は夢窓国師によるものです、宝物館の秘仏拝観が含まれるので支納金が必要となりますがお勧めします。
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