相馬霊場保存会指導者高橋栄勝師記念碑が大師堂の傍らに建っています。 昭和12年11月享年68。
東福寺(廃寺)境内址、明治31年(1898)真言宗、高野山金剛峯寺の末寺が建立されていました。場所は廿番札所の北側に位置していた様です。
守谷道から地蔵堂に上がる小さな坂の下に、大師堂が建っていますいつも花が添えられ掃除もされているので誰かが管理しているのでしょう。
利根川直線化により河川敷の居住者の一部は、水没する自宅から移住する際、この東福寺にお世話になったという話を聞きました。
この狭い小さな坂道は、通勤する人々の通り道で、取手駅は目の前です。
【四国の20番霊場について】
四国20番の霊場は「鶴林寺(かくりんじ)」ですが、別名「胸突き八丁」「お遍路ころがし」と言われ、一里余りの山道を歩かなければなりませんでした。
しかし、本堂両脇の二羽の鶴に出迎えられると疲れも忘れます。また、宿坊でもあるので宿泊も可能です。
現在は、「お遍路ころがし」の道は「歩き遍路」さん向けで、鶴林寺参道(石段)下まで車両乗入が可能です。
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