釈迦涅槃像(寝釈迦)は、東日本大震災の地震で東漸寺へ移りました。




  法海寺(廃寺)、石臼観音堂
御本尊、聖観世音菩薩
移し寺、香川県七宝山観音寺
ご詠歌、観音の大悲の力つよければ 重き罪をも引きあげてたべ




 

 観音堂には観音菩薩と寝釈迦が共に祀られていました。東日本大震災の地震で東漸寺へ写っています。
 観音堂前には石臼の一部品が置いてある、昔の観音堂の台座は石臼で出来ていて基礎ごと回す事が出来たそうです。
 石臼には、女性が座ることで、子宝受の利益があるようです。
 戦後迄、念仏祭りが行われていたそうです。
 観音堂の場所は、寺原バス停先左へ入った所の小さな公園内にあり、本堂は明治期に災害で倒壊となり檀家不在寺の為、再興不能で廃寺となりました。
 廃仏棄釈の犠牲になったお寺です。
常総線寺原駅から山王方面50m程先左側に大師道の石柱があります、奥に集会場が見えます。
 


 札所前の県道130号は、山王道、水戸街道大廻道、佐倉道、谷田部迄の小張街道などと時代によって呼ばれ方が違ったようです。
 少し変わった道として「水戸街道大廻道」があるので、ご紹介します。取手は海抜が低く谷津が多い地形です、江戸東京に似ています。
 常総線寺原駅東側の本郷、駒場は台地上でしたが、西側は国道246号を含め利根川まで谷津谷地で川が流れていました。
 取手台宿、白山、大鹿、中原、本郷、駒場を繋ぐ道は谷津を避けて台地上にあります。しかし、この先の岡、和田、山王は小貝川河川地帯は低地です。
 利根川の東遷以前は海と言ってもよく、住居などは建てられなかったと思われます。従って、水戸街道も大雨が続くと通行不能となり水が引くまで足止めとなります。
 水戸街道大廻り道とは、この様な時の為の「う回路」でした。第69番法海寺は、取手と守谷を繋ぐ「守谷道」と小張街道の分岐地といえます。
 水戸街道大廻道は、法海寺から東の後山(コンビニ先)の信号を斜左折して共同墓地手前をさらに左前方で墓地を出ます。
 台地を下り筑波山が見える相野谷川沿いに、新取手住宅を左側に大山(大山砦跡の農家)から未塗装の道へ直進します、相野谷(あいのや)川という小川に橋が架かっています、目の前は岡台地の山林です。
 橋の袂から下流100m程に平将門の愛妾桔梗御前が入水自殺したという沼「桔梗田」があります。桔梗田というても畑状態と化しています。
 40年位前にはこの台地へ入る山道が残っていたのですが現在は通れません。右手方向の岡神社から鳥居と石段を上り社殿前の道を岡部落を経て岡堰に出ます。
 相馬二万石の用水門前の通りが、銚子道で小貝川沿いに相馬社、藤代文巻(ふみまき)の渡し、高須道仙場(どうせんば)河岸、戸田井、利根川河口、布佐成田街道へと続きます。
 谷田部へは、山王の渡しで伊奈へ渡り、県道19号で谷田部へ更に、筑波山北条までが佐倉道であったはずです。
   

ICON 相馬二万石と毛有薬師







ICON 参加者配布資料



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