屋号、喜兵衛(山崎家)個人所有の小堂です。
昭和八年再建で寄進者は東京八十八度会、毎月二十一日に集落の八件が供花や供膳を会番制で行っている、
猛暑日の竹林はとても静かで涼しくて一休みするには絶好です。
キリンビール取手工場近隣の桑原宝憧院光明寺は、ここの西向かい山中にあったといいます。
光明寺は度重なる大火に見舞われましたが、薬王寺(第40番)の2度の大火での再建不能時には、薬王寺の檀家は旦那寺を失ったために、
光明寺本堂内の一画を薬王寺の檀家衆に開放し祭壇を設け続けたといいます。
無量山宝憧院光明寺、真言宗豊山派、元法泉寺末(土浦)として建治二年(1276)稲村に創建、天文20年(1551)桑原に移転、明治期まで寺子屋でした。
明和5年(1768)稲村の山崎庄兵衛家は、西国33観音と伊勢参拝を巡礼、四国88霊場をお遍路しています
山崎庄兵衛の四国遍路
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