墓地脇に大師道があります。
かつては旅坊主といわれた僧が住み三月二十一日に大師講の男女が念仏を唱えたという。
『山崎主水(もんど)の卑』の要旨。
主水は織田信長の三男神戸信孝に家老染野民部(取手本陣の先祖)と共に仕えましたが、天正十年(1583)山崎の一戦で秀吉に反旗を奮われ滅ぼされた、という。
主水は、武蔵国で同士大鹿太郎左衛門と共に下総国に落ち、大鹿村と稲村の郷士となる。郷士(ごうし)とは、戦国時代からの階級の一つで武士の一種。坂本竜馬は郷士だが脱藩した。
郷士は名字と帯刀を許されており、家系がはっきりしているものも多かった。
堂の脇の細い道は「大師道」です、80番への近道です。
屋号は八郎兵衛、(山崎家)個人所有の札所堂です。
この先、利根川に向かうと江戸川学園に突き当たります、がこの辺りに稲城があったのではないかと推察できます。
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