稲七大師札所、一つの村に七つの札所は稲村だけ!!
薬王寺は、寺子屋で守谷の西林寺の末寺であったため、天台宗の僧が師となって教えていました。
後に稲戸井村尋常小学校稲分教場となりました。
現在の取手西小学校は稲小学校といっていましたが、その発祥地であったと言えます。
薬王寺は二度に渡る連続火災で焼失、再建不能で桑原の光明寺に移りました。
この辺り竹林が多かったようで連竹院と号しました、又札所が集中して七札所と数多いため「稲の七大師札所」と名づけました、
昔はお遍路さんの宿もあって春先はとても賑わっていたそうですが、その面影は現在ありません。
2003年現在、薬王寺の存在を証明する石塔を廃棄している、
境内の無患子(むくろじ、羽子板の珠になる実をつける)が、薬王寺の複雑な歴史をみてきたが立枯れで平成30年伐採されました。
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