高井城趾公園の高井城跡
高井城主の高井十朗直将は大鹿城を敵の一色宮内から奪還した武将です。 また、取手市内では城郭がしっかり残る唯一の城跡で公園として残されています。
長治元年(1104)信太(しだ)郡(現土浦阿見)の信田小次郎重国が開城、後に相馬小次郎を名乗る。 後世の高井十郎民部太夫胤永は天正18年(1590)小田原で豊臣軍に北条氏と共に敗れました。
徳川の時代となっても大名として徳川家に仕えました。
取手市内で一番古い建物
集会所になっている薬師堂の建物は16世紀後半の遺構といわれています。 礎石に乗せた柱や天井の垂木の加工に粗さと古さが伺えます。 建物は小堂の造りとは言い難く民家の造りで江戸末期頃の建築と伝わります。
ガラス戸の大師堂は珍しく、羯磨(かつま)が描かれており割れないことを祈ります。
【羯磨(かつま、こんま)金剛】
三鈷杵または、五鈷杵(ごこしょ)を十字に組み合わせた密教の法具です。梵(karma)の音写。行為や所作、業(ごう)などと訳します。
受戒や懺悔(ざんげ)の儀式作法具。天台宗では「かつま」、真言宗や律宗など南都(奈良、北都=京都)諸宗では「こんま」とよみますが、書物では「かつま」と呼ばれる例が多い。
「利根運河と広瀬誠一郎」
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