建物の三仏堂は「国指定重要文化財」です。
三仏像は、一本の一木三体彫り、運慶作と言うが運慶家含み疑問です、埼玉県児玉の成身院の三仏と同じ彫刻師によるもので作者不知です。平將門の寄進とも伝わるが之もまた年代不一致です。
承平七年(937)平将門により修繕し仁王門が併設されていたのですが、大嵐により仁王門は倒壊した為に、2体の金剛力士像は本堂に祀られています。
三仏堂は、延長二年(924)伝誉阿闍梨の開創と承平七年(937)將門により改修とあるのですが、之も共に不詳です。
平將門が守り本尊として崇敬したが、將門誅伐後は一時公儀を憚って廃頽し、源頼朝が建久3年(1192)国守千葉介常胤に命じて修理させました。
徳川家康の代になって田畑の寄進がされたが、廃禄上地の結果荒れてしまい、重要文化財に指定されてから修復が行われました。
現存の三仏堂は昭和61年に改装されていて以前の面影は柱と壁の一部に残して、屋根は創建時の姿に近い状態に改装されました。
取手は平將門の生誕の地と伝えられていました、將門の母は出産の際、大蛇になり赤子の将門の身体を舐めることで矢も刀の刃もよせつけない鉄の身体を与えたが眉間だけは舐めなかった為に、藤原秀郷に矢で射抜かれたという伝説があります。
金戒光明寺本により將門伝説は各地に残っています。同じ様な伝説が全国にあるのは、この金戒光明寺本によります。
祭壇に並ぶ三仏像は、一木三体彫り(一本の木から三体を彫る)です。三仏とは過去の釈迦如来(須弥壇上の右下脇侍)、現在の阿弥陀如来(中央)、未来の弥勒菩薩(左上脇侍)をいい、仏教辞典では釈迦如来の位置が右側は一般的ではありません。
阿弥陀如来は建久三年(1192)頃の作、大乗仏教の尊氏お釈迦さまを脇侍とした三尊配置です。
龍禅寺本堂のご本尊阿弥陀三尊も、一般的な三尊と違います。中尊阿弥陀如来坐像、脇侍が観音菩薩と地蔵菩薩です、一般的には地蔵菩薩ではなく勢至菩薩です。
こんな文章が残っていました。法念上人は龍禅寺阿弥陀三尊の開眼供養をたのまれたのですが、脇侍が地蔵菩薩の為に供養を断って帰ってしまったといいます。 取手市史社寺編より
守谷西林寺末として、また天台宗寺院のため戸頭の廃寺永蔵寺跡の管理する寺院として、また国重文三仏堂保全の寺として、大変重要な、そして歴史的な龍禅寺です、相馬霊場札所も綺麗に掃除され大変有難いことです。
「安産三仏堂」とも言われ、安産祈願の人々が灯された残りのローソクを頂いて帰る習俗がありました。
三仏堂は相馬霊場開催時はいつも扉が開いていますが、いつでも開帳している訳ではありません。
個人的に拝見するには盆休みかお彼岸など、檀家さんの墓参り時に開場するようなので、時期を合わせて問いあわせると、開けてくれるかも知れません。
近くに「桔梗塚」があります、平将門の愛妾、桔梗御前は将門の死を知り三仏堂へ行く途中に殺害されたと言うが「桔梗沼」の伝説もあり桔梗御前の死については???
ここの桔梗は花が咲かないという、本来、桔梗の根は毒ですが薬用として使用の際、花を摘んで使用します、鎮咳去痰薬として知られていたので宣伝効果に利用されたのでしょう。
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