尼僧による開創と伝わるが、守谷西林寺末として開基されています。
小堂の脇に小さな大師堂「こしかけ大師」がありました、旅人のための休息のための他に「子受け」や「安産」のご利益が得られたそうです。
昭和の時代までは薬師如来が本尊でした、待合所に木像の立像が祀られています。現在は阿弥陀如来がご本尊です。
明治時代は、稲戸井村尋常小学校野の仮校舎として使われました。現在、野の井小学校は無く、所在地の碑が惣代八幡社前に立っています。
小林一茶と西光寺
小林一茶「七番日記」より、流れ灌頂(ながれかんぢょう、相馬や信州の風習でした。)
流産や産後の肥立ちが悪く幼くして死すと、人通りの多い田圃のあぜ道に青竹四本が立てられその上に白布が張られ竹の柄杓(ひしゃく)が置かれます。
白紙にくるまれた髪毛と櫛等が別の青竹の白布に置かれ、塔婆を立てます。
旅人は柄杓で田の水を白布に掛ける事により白布は褐色に変わり、色が変わり百日以上経過していれば、その霊は浮かばれると信じられていました。
一茶が、文化八年三月二十二日頃に西光寺と惣代八幡を訪れた時、守谷の西林寺から布川への途中で道を間違え、西林寺へ行く為に田圃のあぜ道を行かねばならなくなり、流れ灌頂に出会うことになりました。
ナムアミダ ナムアミダブと こき茶哉 一茶、 「晴れ、野々井村西林寺によりて聞・・」伝々
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