新四国相馬霊場第34番 第45番







  永蔵寺跡地内、薬師堂境内、天台宗 
御本尊、薬師瑠璃光如来
移し寺、高知県本尾山種間寺
ご詠歌、世の中にまける五穀のたねま寺 深き如来の大悲なりけり








 

 永蔵寺は守谷の西林寺の門徒寺で現在の守谷市高野に開山説がありました。
 薬師堂の歴史は不明ですが、薬師は古くからあった様です。
 現存する薬師堂の地に天慶4年(941)開基の永蔵寺が移って来たと思われます。
 慶安二年(1649)八月付、徳川家光朱印状に、薬師堂領として朱印地五石を賜わっています。伝承では、薬師堂本尊の薬師如来は平將門の守り本尊といわれ古いものだといいますが詳細は不明。
 薬師堂の資料が無いため、永蔵寺が先か薬師堂が先かは結論出来ませんでしたが、地元古老の聞き込みで「年代は不明だが、永蔵寺境内へ薬師堂が移転して来た」と話されていました。
 私は古老の話を信じていましたが、従来説の調査結果を将来的にも考察の結果で訂正に至りました。
 大師堂は2堂あります、大師堂由緒書きには、第45番安永四年観覚光音予州岩屋寺ヨリ移安ス、第34番安永四年観覚光音土州種間寺ヨリ移安ス、とあり、 45番は永蔵寺、34番は薬師堂ですが、霊場開山は両札所一緒なので江戸時代相馬霊場開基時には既に同居済は確かである、といえます。
 明治の頃迄、戸頭近隣は相馬郡守谷郷に属していたため西林寺末が多い、天慶2年(939)開基の龍禅寺が最も古く、永蔵寺の他、下高井の高源寺を除き取手西部の寺院全てが西林寺末か門徒です。

 【 天台宗では最も古い宗紋が描かれている薬師堂 】
 この薬師堂のガラスには、天台宗の古い宗紋である「三諦紋(さんだいもん)」が描かれて大変珍しい。
 永蔵寺は天慶四年(941)慈念僧上が開山されました。 律宗と天台宗の僧鑑真和上が天台宗関連典籍を日本に齎し、次いで伝教大師最澄が延暦23年(804)~翌年にかけて、桓武天皇による遣唐使として唐に渡り天台山にて天台教を学び、唐文化を日本国の礎として持ち帰った事で菊花紋を受諾しました。
宮社では、菊の紋章はよく使われていますが、寺院では天台宗の宗門に使われていますが、他宗派では殆んど見ることがありません。
 寺院は普通「宗紋(宗派紋)」を使っています。徳川家と深い関係のある限られた寺院の「寺紋(葵紋)」、そして家紋でした。
 薬師如来は相馬小次郎将門の守護神と伝えられています。幕府の御加護で檀家を持たない永蔵寺は、明治初頭の廃仏毀釈以後に廃寺となりました。
 

 堂の建て方が茨城県や千葉県ではあまり見かけない様式で、向拝の中央には階段がなく、左右に分かれています。しだれ桜で知られる守谷市の古刹である西林寺が同じ様式で、中央に階段がありません。

 水戸街道の脇往還
 千葉県側の流山から柏の布施弁天まで諏訪街道があり、布施弁天からは七里ヶ渡しで舟で戸頭へ渡り守谷、谷田部、土浦下高津で水戸街道に合流します。水戸街道の脇道としての役割を果たす街道でした。従って幕府は七里ヶ渡しに関所の役割を課せて婦女子の江戸集中防止のため通行を監視していたとか。
 又、新撰組の土方歳三が北へ下ったルートであり、戸頭-下館-白石-会津と鬼怒川沿いに会津へ、現在の国道294号を下向した様です。

 旧戸頭小学校が戸頭神社の北100mも歩かない処にありました、現在はマンションになり学校の面影は無く碑だけが残っています。







 新四国相馬霊場第34番 第45番







  永蔵寺跡地内、薬師堂境内、天台宗 
  戸頭中学前の歩道橋を渡り200m位先。
  御本尊、阿弥陀如来
  移し寺、愛媛県海岸山岩屋寺
  ご詠歌、大聖のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある








 

 光燿山等覚院永蔵寺は、応和年中(961~964)慈念僧正によって開山。創立時は守谷の高野(こうや)にありました。
 明治の頃まで戸頭は守谷郷に属していたので当時としては他国からの引越しではないようです。
48ヶ寺もの門末と20石の朱印地を有した大寺院で檀家は無い為、明治初めの廃仏毀釈令により、衰退し廃寺となりました。

 「七里ヶ渡し」の船着き場として、戸頭という地名は平安時代の太古からありました。
 戸頭の歴史は古く小字名が住所に使われていた頃には「御所車」「西御門」なる城郭のあった地名等が残っていました。
 更に、相馬御厨(みくりや)に属していたという郷土史家もおります。
 渡し場は、戸頭社の先の利根川土手に上がり、新大利根橋の下道100m程先の土手上に案内板があります。
 利根川岸迄へは行くことが出来ませんが、案内板下の土手内平地の奥に、更に所在場所を示す看板がありました。
 昭和初期までは、お遍路さんの宿坊が5~6件あり毎晩のように騒がしく賑わっていたのがこの寺のまわりでした。
 銀杏の大木はどのような歴史を見てきたのか教えてくれるといいですね。







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