菅笠は遍路笠ともいいます。文字の意味は・・

 
  

 梵字(ユ)を前に被ります

  

 「同行二人」「迷故三界域 悟故十万空 本来無東西 何処有南北」そして梵字は弥勒菩薩(みろくぼさつ)を表し空海と読みます。
「同行二人」の同行者とは弘法大師であり、一緒に行かれた奥様や連れではありません。
 迷故三界域とは、迷うが故に三界(欲界、色界、無色界の三つの総称)は域なり。
 悟故十万空、悟るがゆえに十万(とおよろず、10×10000倍、無限数)は空(くう)なり。
 本来無東西、本来東西などなく、何処有南北、南北など何処にあるや。
 更に「迷故三界域」は骨壷に記されるもので、菅笠は棺の代用として使われたそうです。
 菅笠は雨や日除けに巡礼用の重要な備品です、常用してみると、昔から伝わる道具の良さを再認識させられます。
   

  
  

 南無大師遍照金剛

 なむだいし へんじょうこんごう
  

弘法大師のご宝号です、参拝の際に唱えます。
 『南無』は帰依する。『遍照金剛』は弘法大師が唐の長安で密教の高僧恵果(けえか)阿闍梨(あじゃり)から与えられた灌頂(かんちょう)名。「お大師さまにすべて委ねます」の意味。
  


  

 参拝の順序

  

一、山門(三門)の正面で一礼する。
 山門は結界門ともいいます。
 俗界と仏界の聖域の境で葷酒邪鬼の侵入を防ぐ門です。
 
ニ.手水場で手と口を浄める。
 ひしゃくで水を汲み左手にかけ持ち替えて右手にかける。
 もう一度汲んだ水を左手に受けて口をすすぎます。
 最後に柄杓を立て残った水で柄を洗います。
 
三、鐘を突く。一打で止めること。打たなくても良い。
 帰りに打つのは「戻り鐘」といい、あまり良くないという。
  功徳が消えてしまい縁起が悪いそうです。
  

 参拝は大師堂より本堂が優先します。

  堂内に入る場合、金剛杖は持込まないで下さい。
  菅笠は被ったままで取らなくてもよい様です。

四、本堂で本尊に燈明を具える。ろうそくは仏の知恵、
 線香は三本一束(紙で束ねてはいけない)にして徳を頂く為にあげます。
 
五、鰐口または鈴を一回鳴らす。来寺を仏に知らせる。
 
六、納め札と写経を納箱又は堂内に納める。
 納札には名前と住所に参拝日の「○年○月○日」と記しておきます。
 ○日は吉日と記してもよい、「吉日」だと何時でも使え無駄防止。
 
七、お賽銭。お布施です、昔はお米や塩、布等を奉納しました。
   

  

 勤行次第

 他の参拝者の邪魔にならないように堂正面を避けて唱えましょう。
 
  

八、合掌礼拝、合掌は手を叩かない音を出さない。
 
九、開経偈(かいきょうげ)三帰三竟。一遍
 無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
 百千萬劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
 我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
 願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
 
 無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い遇うことかたし
 われいま見聞し受持することを得たり。
 願わくは如来の真実義を解してたてまつらん。
 
 弟子某甲 尽未来際(でしむこう じんみらいさい)
 帰依佛 帰依法 帰依僧(きえぶつ きえほう きえそう)
 弟子某甲 尽未来際
 帰依佛竟 帰依法竟 帰依僧竟
 (きえぶつきょう きえほうきょう きえそうきょう)
 
十、懺悔文(ざんげもん)。一遍
 我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
 皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
 従身語意之所生(じゅうしんごいっしょしょう)
 一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいざんげ)

無始よりこのかた、貪瞋痴の煩悩にまつわれて、身と心と意とに造るところの もろもろの つみとがを みな悉く懺悔したてまつる われ昔つくるところの 諸悪みな始めもしれぬ、おしい、にくい、おろかによる。身と口と心とよりなすところ、盡くわれ今みな詫し奉る。

十一、般若心経。一遍 経文はこちら(別項)です。
 
 般若心経を分かりやすく解説 外部サイトへ移動します
 

十二、ご本尊真言 三偏繰返す。 ご真言はこちら(別項)です。

 大師堂の本尊は弘法大師なので御本尊真言を唱える必要はありません。
 
 十三佛とは、それそれ異なる徳を持ち、この世に生きる私達の御守り本尊として宗派に捉われず広く信仰されています。又、初七日から三十三回忌までの追善供養を受けもたられ法要の際には必ず御本尊として拝まれる先祖供養の仏様でもあります。
 
十三、札所御詠歌、御和讃
 御詠歌は、各札所の紹介に記載してあります。
 相馬霊場の御詠歌は、第89番を除き、本国の各霊場と同じ御詠歌が使われています。
 
十四、光明真言、三遍繰返す。
 おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はりばりたやうん
 大師ご宝号とともに大師堂で唱えます。
 
十五、大師ご宝号、三遍繰返す。
 南無大師遍照金剛

 観音霊場の場合は、「南無大慈大悲観世音菩薩」
 
十六、回向文(えこうもん)、一遍
 願わくは、この功徳を以って、あまねく一切におよぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜん
 
  十七、合掌礼拝
  

 大師堂の参拝

十八、大師堂の参拝と勤行。本堂と同様に、項目四から繰返します。
 
十九、納経所で納経帳に御朱印を頂きます、志度金が必要です。
 参拝前には御朱印は頂けません参拝後にお受け下さい。
 神社と仏閣の混同納経帳へは、御朱印を断られる場合があります。
 
廿、山門(退出)、境内に対して一礼して出門します。
 

  
  

十善戒(じゅうぜんかい)
 「悪事は、行うときに悩み、した後にも後悔する。」
 十善戒は、身(からだ)と口と意(こころ)のはたらきを正しくして生きていくことを誓い実践していくことです。
 
不殺生(ふせっしょう)殺さない。
 命あるもの全てに対し、恐れることは何も存在しないと示す。
 
不偸盗(ふちゅうとう)盗まない。
 理由のないものを欲しいと思わない。
 
不邪婬(ふじゃいん)異性に対する邪な行為にふけらない。
 
不妄語(ふもうご)謝った言葉や、悪意や敵意をもって言葉を使わない。
 
不綺語(ふきご)飾った言葉を使わない。へつらわない。
 
不悪口(ふあっく)人を傷つける言葉を言わない。
 口には人を傷つける斧があるといわれます。
 
不両口(ふりょうぜつ)二枚舌を使わない。
 誰に対しても真実を喋ります。
 
不慳貪(ふけんどん)貪りを離れ、少なきを分かちます。
 
不瞋恚(ふしんい)瞋り、高ぶる心を捨て、人を慈しみの心で見ます
 
不邪見(ふじゃけん)邪な見かたを離れ、物の本質をありのままに見ます
 
 


information

お遍路さんの起源

  

  弘法大師が四国を巡錫されたときのこと。
 荏原へ立ち寄り家々を訪れてお布施をお願いしました。
 この村には河野家の一族でどん欲な富豪の衛門三郎という者がおりました。
 弘法大師が門前に立ち布施を頼んだ時、三郎は大師の持っていた鉄鉢をたたき落としました。
 その鉢は八つに割れ、大師の姿も見えなくなったといいます。
 
 衛門三郎は八人の子供がありましたが、その翌日から子供達が次々に死に、八日間で八人の子供が亡くなりました。
 さすがに強欲で冷徹な三郎も衝撃を受けるとともに、自分が乱暴した僧侶が弘法大師であったことに気付きます。
 
 懺悔の気持ちを持ち、大師を追いかけ、四国各地を廻りますが旅路の疲れで病に冒されました。
 阿波の焼山寺のふもとだったといいます。
 
 死を待つばかりとなった三郎の前に弘法大師が現れました。
 三郎は今までの非を詫び、来世には国司の家に生まれたいという望みを残して死んでしまいました。
 大師は道ばたの石をとって「衛門三郎」と書いて左の手に握らせました。
 
 翌年、道後の領主河野息利の妻が子供を生みました。
 その子は左手を固く握って開きません。
 父母は心配して安養寺の住職に加持をしてもらうと手を開きました。
 すると中から石が転げ出て、石には衛門三郎と書いてあったのだそうです。
 
 その子は 15歳で家督を継ぎ、人民を慈しみ、偉大な功績をあげたそうです。
 そして河野家に代々伝わるその石を一遍上人の代に河野家の菩提寺安養寺に納め、
 南北朝時代にはその故事にちなんで石手寺と称されるようになったのです。
 
 衛門三郎と刻んだ石は「玉の石」と呼ばれて寺の宝となっています。
 この衛門三郎の伝説がお遍路さんのはじまりとして広く知られています。
  「伊予二名集」「豫陽郡郷俚諺集」「愛媛之面影」より
 
 四国遍路の風習は平安時代からありましたが、八十八ケ所になったのは室町時代から。
 遍路が「同行二人」という札を納めて巡ったところから札所という名称が生まれています。
 「お札」は現在は紙ですが、つい最近までは「木札」で釘で打ちつけていたため「お札」といいます。
 
 また、衛門三郎は「順打」でお遍路していましたが、散々巡拝しても弘法大師に巡り会えないために巡拝を逆に廻れば、会える切っ掛けが高まるという理由で「逆さ(さかさ)打」をしたと言われています。
 
 



2016/7/7 記
2022/5/29 改